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指揮者、作曲家としての天沼裕子とその抱負

天沼裕子さん、おかえりなさい!

-おかえりなさい、天沼さん。いつ、帰国されたのですか?

 コロナ下、日本の入国検査が厳しかった2021年の年末に帰国しました。私だけで3~4時間もかかった入管審査。そのあとすぐさま、同じ便で一緒に帰国したペットを引き取りにいきました。彼らを動物検疫所に連れていき、輸入許可を得、空港のペットホテルに預け、自分は6日間の強制隔離に入りました。とても厳しい食事制限があり、体重がみるみる減っていきました。今、思うととても稀有な体験をさせていただいたと思います(笑)。
 拠点を日本に移した理由ですか? ドイツの大学退官後、日本社会に何か貢献したいと思ったからです。

-ドイツの音大時代のことを、教えてください。

 音大はドイツ南部のバイエルン州のヴュルツブルク市にあります。設立は1797年で、ドイツで一番古い音大なのですよ。世界遺産であるレジデンツ(王宮)の目の前に校舎があり、それはそれはとてもきれいな建物でした。私の教室には、グランドピアノが2台。スタインウエイのほか、希望により、大学側がベーゼンドルファーを手配して下さいました。
 教授に就任してから退官までの足掛け17年間、270名余の声楽科の学生と、40名余の指揮科の学生、そして、コレペティツィオン(以下コレぺティ)専攻学生を20名ほど指導してきました。その中でもトピックは、コレペティ専攻科の誕生です。州都ミュンヘンの科学芸術省が私を初代教授として認証してくださり、2012年に同音大大学院修士課程として新設されました。オペラが盛んなドイツならではの科です。オペラに特化した授業や実習をとおして、歌手コーチング法、指揮法、オペラ分析、レパートリー、オーディション戦略法その他を習得します。修了後は歌劇場にコレペティートァとして就職できる、即戦力のある科です。
 うちの音大の特徴だったのかもしれませんが、先生と学生の距離が近かった。学生との会話に弾んだ授業は楽しかったし、鋭い質問があると、それがトリガーとなり、研究の練り直しができて、学びに対するより的確な言語化が進みました。学生から教えられている感すらありました。もしかしたら私のクラスの学生たちは、私を育てていたのかも。(笑)

-大勢の学生を指導してこられた経験は、どのように日本で活かされるのでしょう?

 どんな学生に対しても、こちらの対応はフレキシブルであるべきだと思っています。それだけ、あらゆる国の、かつ、様々な教育経験を積んだ学生に接してきました。特に、海外からドイツ留学した学生に対して、異国の地にありながらも実りある勉学を提供するため、こちら側が柔軟な態度で接しました。また、学生によって、かなり勉学の速度が異なり、そのための我慢(笑)も強いられました。しかし、大学という場は、何よりも学生のために在るべき、と思っています。その基本理念を物差しに、日本でも、個々の個性を引き出して差し上げたいと思っています。

-教える立場から、自分が発見した独自の学びに対して、独占欲が湧きませんか。

 それは、自分だけの秘密にしておきたいということでしょうか? 私の場合、それはないです。確かに、そうしたい方もいるのかもしれません。しかし、音楽上の学びは、発見され、シェアされ、実践をとおして洗練され磨き上げられてこそ、真価が見出されるものでしょう。我々は音楽という大河から恩恵を受けつつ、大河の流れが澱まず、せき止められいための何かしらの方法(学び)をお返ししていく、大きな流れに解き放っていくことが、使命かなと思っています。

-新しい発見の例を一つ、挙げていただけますか?

 喜んで。それは、例えば、日本に明治時代に、ドイツから導入された西洋音楽の強拍と弱拍のテーマです。当時、日本は、ドイツのいわゆる「教育音楽」を導入したのであり、それは、当時の日本の音楽界が必要とする相応しい選択だった。しかし現在、それらがどこまで、第一線で活躍するプロの演奏家に活かされるかは、個々が考えなければならない。その先のことは専門的になるので、今は説明しきれませんが。

-では、今後、「教育音楽」を実践していくことは、間違っているのでしょうか。

 正誤ではなく、音楽家が何を目標にするかで、取捨選択があっていいと思います。

-天沼さんは、作曲家でもあり、歌劇場に所属していらした頃、オペラを書いていらっしゃいますね。

 ええ、歌劇場の委嘱で、専属ソロ歌手のアンサンブルのためにオペラを2本書きました。虚像のために書くのでなく、実在の歌手の声域や技術、人となりを想像しながら書く喜びがありました。その後、教鞭をとっている時期は作曲できませんでした。しかし、コロナ禍により、大学校舎が閉鎖される措置があり、時間が生まれて、作曲するようになりました。以前より書きたかった米沢幸男さんの児童長編小説、「少年オルフェ」を書き始めたのです。作曲の完成は2023年の2月でした。今後は、オペラだけでなく、また、クラシックというジャンルに拘らず、作曲していきたいです。

-好きな作曲家は誰ですか?

 自分の作品は好きです。なので、天沼裕子かな。(笑)人間的に尊敬する作曲家はハイドンです。彼の寛大な性格、品格ある教師としての姿勢は参考になります。他には、プッチーニです。彼の作曲技法は、即戦的であり、ユニークです。そして、ベートーヴェン。彼の和声感、特にウィーン楽派の厳格な制約から逸脱していく時代のスコアを分析していくことは、私のライフワークになりました。

-指揮者として、今後何をしていきたいですか?

 最初に歌劇場でオペラ、バレエを、金沢で室内楽中心にやってきました。その後再度、歌劇場に戻り、オペラ・バレエ・ミュージカル・オペレッタなど、あらゆるジャンルの本番を振ってきました。教官時代は、オペラや合唱曲を学生と取り組みました。今後は、それらの経験を生かしていきたいですね。特にバレエは、もっと振りたいジャンルの一つです。もともと、バレエ指揮者志望でしたから。大学時代、国内のバレエ団の公演、ロシアバレ公演や、アルビン・エイリー、ピナ・バウシュなどの公演は、ほとんど観てきました。そのほか、ベートーヴェンの交響曲のスコア分析が終了したら、その分析に基づく演奏も考えています。そのほか、他のジャンルのアーティストとのコラボも、トライしたいことのひとつです。好きな日本のアーテイストもいますし。

-指揮者、天沼裕子らしさを出すために、どんな音楽作りを心掛けていますか?

 私らしさ? いいえ、それは求めません、作曲家が書き込んだスコアから、作曲家の意図する、理想とする演奏にできるだけ近づければいい、とだけ考えています。

-なるほど。その、作曲家自身が理想とする演奏に近づくためには、何をしたらよいですか?

 そのためには、文献を読むなど、幅広い知識が要求されるでしょう。そして、最終的には、スコアを読み込んでいく必要性を強く感じます。特に、分析の重要性は、作曲家の意図に基づいた演奏を目指すなら、大切だということがわかります。また、スコアを読みながら、疑問に感じることがあり、そこから思いを馳せる作業が大好きです。スコアを読んでいくと、作曲家自身の性格も垣間見え、人間的に親近感を覚えます。(笑)
 昔、アシスタントをさせていただいたアメリカの巨匠、バーンスタイン氏の言葉です。『作品は、あたかも作曲家自身が振るように振れ!』と。遅ればせながら、今やっと、その真意が理解できたように思います。
 それともう一つ、私の経験から、逸話をお話しします。昔、歌劇場で指揮スタッフをしていた頃の話です。合唱とヴィオラ奏者一人とが、舞台裏で演奏する箇所でした。どのオペラかは、もうお分かりの方もいることでしょう。本番指揮者に「ヴィオラが聞こえにくい」と、大声で注文をつけられたことがあります。私は客席に聞こえない程度の音量で演奏する、それが正論と、譜面から感じとっていました。この作曲家はとてもシアトリカルな人ですから、合唱の音程が狂わないよう、サポートのためにヴィオラが欲しかったわけで、ヴィオラ自体の音を聞こえるように意図したはずではないと。

ーで、その時は?ー 
 
 もちろん、本番指揮者の指示に従いました。ヴィオラは合唱の音量を超えて大きく聞こえました。ヴィオラの音色は合唱と溶け合い、それもありかなと思わせるいい演奏でした。(笑)本番指揮者も満足でした。でも、天上の作曲家は、どう思ったことでしょう。残念ながら、その指揮者はお忙しく、作曲家の思惑について話し合う機会を逸しました。
 指揮者って、とても忙しい職業ですから、たとえスコアを熟読したとしても、作曲家の意図まで思いを巡らす時間の余裕がないのです。その事件、といっていいかな、それ以来、自分がこの世界でやるべき何かがあるかもしれないと思い始めました。

ーそれで、譜面を読み込む必要性を、より大きく感じるようになられたわけですね。

 はい。私自身は、実は、デスクワークより、歌手たちとリハーサルしている方が楽しい。歌手の方たちって、人間的に興味深い人が多いと思います。しかし、そのリハーサルを充実させるには、デスクワークが必要なのです。

-日本では、すでに、プロ歌手の個人レッスンをされていますね。

 ええ、とてもやる気に満ちた、才能のある歌手たちがレッスンに来ています。その才能が、超スピードで成長していくのが楽しい。よくいうビフォア・アフターの違いを、歌手ご本人だけでなく、指導する私自身が実感できるのです。
 今後は、例えば高校生、音大受験生、音大生の方たちもサポートしていきたい。これらの世代の人たちで、特に高校生は、声が安定している方は極少ないかもしれませんが、その時期に習得しておいていただきたい音楽的基礎がありますから。

➖レッスンを受講する場合、高校生、受験生や音大生は、どのような準備が必要ですか?

 絶対上達する!という決心を固めることです。上達すればいいなあ、という淡い希望では、上達は難しいです。また、上達を阻むものが、過去に遡り、間違って学んだことに由来するなら、そのダウンロードを削除する勇気を持つことです。悩みがある方は、悩みの原因、遠因を一緒に探索しながら解決していきます。

ー音楽大学入試突破のための戦略はありますか?

 昨今、音大入試は定員割れで、希望大学に入学しやすくなったそうですね。それなら、受験準備をしなくてもいいのかというと、そうではなく、入学前に適切な勉強法を習得することで、大学での勉学の無駄を省けると思います。もちろん、自分の声に相応しい課題曲を見つけることも、大事な準備の一つ。無理して難曲を歌うのでなく、年齢相応の課題曲を選曲することも大切です。

ープロアマに限らず、今の自分を上達させたい人は?

 是非、私の「音楽的処方箋」を実行してほしいです。
 私のモットーは、医師が病因を探し、的確な処方箋を書くように、適切な「音楽的処方箋」を書くこと、その実践を提案することです。この音楽的処方箋は、人それぞれに合わせているので、人によっては、通常と真逆のことを言わなければならないことも生じますが、それは、その人の適性に沿っているためです。
 しかし、この「音楽的処方箋」には但し書きがあります。声楽の技術については、私の立場からは、言及するべきではないと考えています。どうしても必要だという場合を除いて。

ー今日は、ありがとうございました。
 
 こちらこそ、ありがとうございました。ちょうど今、ドイツで活躍している指揮科の元弟子からWhatAppが届きました。ロックのメジャー雑誌のインタヴュー掲載記事を送ってきたのです。彼は現在、ロックとクラシックのかけ橋の指揮者として注目を浴び、ドイツ縦断ツアーコンサートを控えています。蒔いた種が、すくすくと育っていることを知るのは、とても幸せな気分です。

以上です。
お疲れさまでした。

「日本オペラminiフォーラムVol.10」

オペラ少年オルフェHP

https://youtu.be/3IaR9h3iQnY

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